多弁、戯言、独り言

その時思ったことのアーカイブ

ダークヒーロー

主人公になれない。

以前に話した話題で『負けヒロイン』と自称したがそれ以外のことでも脇役だったり準主役だったり、そんな位置にあることばかりだ。そりゃかつては主人公そのもののような時代もあった。しかし今では見る影もなく、けれども外面のいいが故にただのハリボテ。主人公のような立ち回りも振る舞いをもしようがただの虚勢でしかなくなった。

見てくれに甘んじて驕ることで王手を掛けてもそこで立ち止まってしまい、そうして見栄をはり本物のフリをする哀れな偽物と化したのだ。

 

だから「主人公になれなかった」という現実を受け入れるために主人公でなくとも輝ける二枚目、そして『ダークヒーロー』『アンチヒーロー』に憧れる私が爆誕したのである。

めだかボックス球磨川禊や鶴喰鴎、化物語貝木泥舟のようなキャラクター像に憧れ求め作り上げる事で自身のアイデンティティを確立し受け入れてきた。

 

そんな甘んじた考えでいると某幻想殺しに「脇役なんかで満足してるんじゃねえよ」と説教をされてしまいそうだがそんなの釈迦に説法、馬耳東風。

だって私は『負けヒロイン』なのだから、直接勝たなくていい、勝てなくていい。結果的に間接的に勝てばいい、勝負に負けて試合に勝てばいい。そんな考えで誰かの二番手になる事で何かの二番手になる事で、ぬるま湯に浸かり続けるような居心地の良さと安堵感を得られる。負けた時の免疫がつく。

それに自分のキャパシティ以上に幸せになると動悸が激しくなって胸が苦しくなるから、程々に悲しさと虚しさと儚さがないと耐えられなくなってしまうのだ。

 

負け戦だろうが挑まなきゃいけない事はあって、距離がどうとかその先がどうとかは知らない。今ある時間と可能性だけが自身の指針となっている。刹那主義でいい、二番目でいつでも切り捨てられる立ち位置でいいからそうして居心地のいい危うい場所に止まっていたい。

 

そうしているうちに誰かから奪い取ってしまえればいい、そうすれば邪道の道で私の““勝ち””なのだから。