多弁、戯言、独り言

その時思ったことのアーカイブ

自己中心的

昔から「なりたくないな」とか「やりたくないな」と思った事象が自分に降りかかる事がよくあった。例えば学校の席替えで1番前は嫌だと念じれば1番前を引き当てる。嫌いな人とペアになったら嫌だなと念じればその人がペアになる。といったところだ。そんな、負の面におけるラッキーボーイな私は先日能書きを垂れたものに起因し早くも危機的状況に陥っている。

負けヒロイン - 多弁、戯言、独り言

 

そう、そんなつもりも無しにただ優しくしてあげていた子から好意を寄せられてきている。

ただ「好き」と言う言葉なら抽象的なのでテキトーに誤魔化す事もできるが、その感情が『Love』か『Like』のどちらかも明確なほどに前者だと伝わってくる。

これはまずい。正直勘弁して欲しいところだ。

寂しいって言うから寂しさを紛らす手伝いをしてあげただけなのにそんなことで好きになられてしまってはハーレム計画も顔負け、病み女子祭が始まり私は十字架に吊るされる事になるだろう。

 

「勘違いじゃないの?」と思われそうだがこればかりは鈍い私でもわかる。あからさまだからだ。

本当に最低で失礼な話だが、別にタイプでもないしそういった感情は一度も一切無しに接していた相手から好意を寄せられると流石に困惑だ。迷惑だとまでは言わないが、正直参ってしまう。

こういった場面に陥った際、大抵なら友人に相談をして解決策を見出すなり、心を鬼にしてバッサリと切るべきなのだが今回の事案は高校時代の部活動の後輩で、そこに手をかけた(そんなつもりは毛頭ない)と、それでいて自分にそんなつもりはない、なんてことを言えば総スカンを喰らうだろう。

そのくせ曖昧な態度を取ってその場凌ぎをする自分がいると言うのには呆れ過ぎて自己嫌悪だ。

 

こんなことになるなんて思いもしていなかったのにちょっとの気の迷いで優しくしてあげて甘えさせてあげたらこのザマなんだから因果応報自業自得といったところだ。

 

この危機的状況を打開するには私がその子に対して冷め切った淡白な返事をするなり、見てわかるような態度をとることが1番手っ取り早く簡単なのだが、変な情けと優しさでそれが出来ない。相手のためを思えばそれをするべきなんだろうこけれども悪者になりたくない考えが邪魔をし躊躇してできない。自分が傷つきたくないだけなのだ。

 

だからお互いが最大限傷つかないようにと非常に自己中心的な考えだが、私が幸せの渦中にいられるような出来事、例えば恋人ができるといったような自分の幸せと好きな人の幸せのみを考えて過ごせるような状況にたどり着くことができればその子を配慮せずに自然の力で遠ざけることが出来る。

 

結論、この状況を乗り越えるために今私には恋人が早急に必要なのである。

負けヒロイン

深夜0時を過ぎるとどうしても悶々と終わらない考え事をしてしまう事が多々ある。

冷静になって考えてみれば痛々しくそれでいて恥ずかしい話なのだが、これがやめられないから困ったものだ。

それをダラダラと、終わらぬ堂々巡りな感情と思考を書き連ねていきたい。

 

自分の恋愛経験の中で最も長く続いたとしても6ヶ月。半年が限界ということを、何かしらの理由をつけて合理化しなければ釈然としない。‪

そこで色々ない知恵を絞って考え抜いてはみたが自分に要因があるという答えにしか辿り着けなかった。

そこを日々深掘りして思い悩んでいく中で相談できる友人知人と恋愛話をしたときに気づかされたことも多々ある。ざっくばらんに挙げると、

・思わせぶりな態度をとる

・優しい

・素を出していない

という点が見られた。これは確かにそうだなと思い当たる節はあるし、しかしだからと言ってそれを改善できる気もしない。思わせぶりな態度は本当に意識していないところで出ているので何がそれに当たるかは後々他人から聞かないと分からない。

しかし『優しい』。これが非常に厄介だ。「情けは人の為ならず 巡り巡りて己が為」と、人によくしていれば自分にも何か返ってくるという考えに乗っ取り、確かに人当たり良く優しさを振りまいていれば何かの相談相手になってくれたり、はたまた自分にだけ相談事を持ちかけてくれるなどそこそこ得なことがある。

しかしその、「自分にだけ相談を持ちかけてくれる」というところの『自分にだけ』という部分に落とし穴があった。

確かにありがたい話だがそれ故に相手に優しくし同調し共感し話を聞いて何かをしてあげる事でそこに特別な感情を抱かせてしまう事があったからだ。

情緒が不安定だったり傷つきやすかったり、「病む」という表現があうような感情を抱きがちだったりと、スラング的にいう所謂「メンヘラ」な女の子が友人に多数いるが、その子たちの相談にのることで勘違い、有らぬ期待を抱かせてしまう事があるのだ。

 

寂しいとき、不安なとき、元気がないとき、優しくしてくれる人は確かに神のようにも思えるかけがえのない存在ではあるがそれを思い違えて恋にも似た感情を抱かれるのは少々困る。自惚れかもしれないが、そんな経験はよくあるし直近でも度々起こっている事象だ。

そう言った人達には大変申し訳ないのだが、別にあなたに気があるから優しくしているとか、そういうわけではなく前述した通り己が為、自分のために優しくしているのであってそれは特定の人物ではなく基本万人に振りまいている優しさなのである。

誰にでも優しいというのは、裏を返せば誰にも優しくない。博愛に近い無関心だというような事をたしか、めだかボックスとかで昔見た気がする。(なかったかもしれない)

 

「だったら無視して放っておいて突き放せばいいじゃないか」と言われてしまえばそこまでだが、ところがどっこいそうもいかない。そういう人を見ると不便でかわいそうだなと思ってしまい、見放しておけない自分がいるのだ。

だから無理な優しさを出す事で結局素は出せていないし、そんな優しさの中に無意識下で思わせぶりな言動態度が含まれてしまうため勘違いを生んでしまうのだ。

男女間の友情はあると思っているしそれは基本的に男性側が壊すものだと思っている。なので特に異性として見ていない相手と接する時に幾分か上手くことが運んでしまい、結局のところ厄介なことに巻き込まれそうになる。

相手に依存するような脆く危うい人間は好きにならない傾向にあるので申し訳ないが好意を寄せてきて、それを表にしてきた瞬間、何となくぼかして有耶無耶にしてさようならというわけだ。 まったく残酷な話である。

 

しかし異性として意識してしまう相手に対しては何故か空回りをしてしまい全く持ってうまくいかない事ばかり。恋をしても片想いで玉砕するか伝えずに虚無と化すか、その2択の結論が待っている事が多い。

好きな相手に自然体を出せず「わたし」というキャラクターを繕ってしまうからなのだろうけれど、かといっていつも通り優しくしていても優しいだけの人間で終わる。その辺の塩梅を誰かに徹頭徹尾ご教授していただきたいくらいだ。

だから恋をするたびに思う想いは重くなりめんどくさい考えを持っためんどくさい男になってしまうのだ。そんな自分を変えたいし変わらなきゃ現状を変えられないのはわかっている。わかっているのだけれども、叶わない恋とか儚い恋とかそういうのをしている自分にしっくりきてしまっていて、それでいてそんな自分が嫌いじゃない。‬

少女漫画で言う優しいけど結局結ばれない男、所謂「負けヒロイン」ポジションが私には大層、お似合いなのだ。

そしてそもそもこんな考えを持ちこんなことを言っている時点で恋人は出来ないのである。